「而今」とスイングボトル

今宵から「而今」・・・

先般、定年退職に際してのお祝いということでぼくの日本酒の「お師匠さん(C・SKGMさん)」から、三重の銘酒=「而今」を頂戴しておりましたが、本日より晴れて飲み始めました。

頂戴したのが「生」だったものですから、どうしても冷蔵保存が必要でした。しかし、自宅にある冷蔵庫では日本酒の一升瓶を立てて格納・保存できないため、「而今」の一升瓶と同色の色付きスイングボトル(720ml)を購入し、それに詰め替えて冷蔵しておりました。

図1:  日本酒「而今」とスイングボトル

図1: 日本酒「而今」とスイングボトル

おつまみは大阪の塩昆布と、元文学部長に教えて頂いた京都のお出汁で煮た野菜。飲んだ量は大したことはありませんが、世界が明るく見えるような酔い心地です。その勢いで「而今」のうんちくを備忘的に書いておきます。

「而今」とは

日本酒ですw

もちろん現今では、三重県産の日本酒ブランド名で知らぬ人無しの銘酒です。しかし、どうやらオリジンは「論語」にあって、日本語でも「而今而後」と四文字熟語として使われることがあります。また道元禅師が禅問答などで幾度かこの語を使われたとのことです。

論語では

まずは論語では「泰伯[4](出典):

論語-泰伯[4] 曾子有疾、召門弟子曰、啓予足、啓予手、詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰、而今而後、吾知免夫、小子

日本語に訳すと(出典):

曾子が病気になったとき、弟子を呼んでこう言った「私の手足を見てごらん、傷が無いだろう。私は今まで負傷しないかと心配で、『戦戦兢兢として深淵に臨むがごとく、薄氷を踏むがごとし』という詩のように、いつもビクビクしてきたが、これからはもうその心配もいらなくなったようだ」

ということのようです。英語訳すると、この限りでは、From now on, hereafterですねw

正法眼蔵では

日本では、道元禅師『正法眼蔵大悟の巻』に「而今」の語があるそうです。ただし読み方は「にこん」となっていますけれど:

いはくの今時(こんじ)は人人(にんにん)の而今(にこん)なり。我(われ)をして過去未来現在を意識せしめるのは、いく千万なりとも今時(こんじ)なり、而今(にこん)なり。

現代文に訳すと(出典):

「而今」は人人の凝縮した「今時」の一瞬のことであり、ここには過去も未来も、そして現在も、その「時々」の「瞬間」「瞬間」に包含している。それはいく千万あったとしてもその全てが「今時」としての「而今」たる「一瞬」なのだ。

要するに、「今、この一瞬の体験にこそ物事の真実が現れる、過去は消えた、未来もない、あるのは今この一瞬だけ」ということのようです(出典) 。

なかなか含蓄深いです。

ということで

そもそも而今が今からということですから、「今宵から而今」というのは変な言い回しですねw

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